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26 Apr

日本語学校の思い出です Memories from my Japanese School

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If you are having trouble understanding Japanese, try to translate my essay (the one after the bold text) with google translator. It wont help you understand anything of what I say, but I laughed so much reading the English translation :)

このブログの目的はだいたい二つです。一番目のは連絡に弱いし家族は遠いし家族と友達に少しどこに行ってるかなって写真見つけたいです。二番目のは言葉練習することです。日本語スペイン語まだ習いたいけど今韓国語も勉強にしました。日本語の間違えはもちろん多いから本間に欲しかったら教えてくれなさい、どうぞ=)特に関西弁が習いたいですよ。ー)

最後の日本語学校で作った作文見つけました。懐かしいです。。大地震のせいでアイ3の期末試験できなかったから代わりに作文書くことになりました。少しALA学校の写真も掛けました。

ほなまた!

名前: エルホルム テーム 

作文のテーマ: 国に帰った感じ。

私はフィンランドのヘルシンキに着陸をしました。飛行機の乗客の中に3人はフィンランドに来て他の乗客は飛行機を乗り換えして他のヨーロッパの国に行っていました。空港で荷物を取って出口探してたけど急に税関の役人は私を呼んで他の部屋に連れて荷物検査を受けました。税関の人は干した蛸を持って来られるかどうかは20分ぐらい研究していました。合法と断じた後でお詫びしないで「行っていい」と叫びました。

がっかりして何も言わないで空港を出てショックしました。春でもまだ寒くて雪が一杯ありました。まだ目に見える春の兆しはなかったからやっぱりだれでもフィンランドに来て欲しくないです。住みたい国を残って寒くて人が失礼で苦しんでる国に来たと思いました。フィンランドの生活の未来が見られないで混乱と憂鬱を感じてきました。

家に着くとあまり考えないほうがいいと思ってゆっくりしたでも近いうちにひどい風邪をひきました。一週間ぐらい風邪で寝込んでいった間に40度の熱さえありました。

それから直した風邪と新鮮な心で新しい生活に直面していきました。滋賀の友達は連絡して日本の場合は不安定状態でもまだ会社を作りたいと言いました。フィンランドデザインを売買する会社の作る計画を思い出してわくわくしました。それに良く作った事業計画を持ってる人は月に政府からお金をもらいます。初めにいろいろな友達に会って皆から親切に支援と激励をもらいました。毎日仕事で忙しくて良く進歩しています。その上で春が来てしまいました。雪が早く溶けてきれいいな季節です。

寒いの代わりに暖かいです。失礼人の代わりに親切な友達がいます。苦しむ代わりに政府が手伝っています。未来が見られない代わりに機会があります。

どうして日本を離れる感じがそんなにショックのは日本が大好きというわけですね。他日ぜひ日本に帰るけどとりあえずフィンランドも悪くないでしょう=)

19/06/2011

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